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January 26, 2005

覚え書き

2004年4月


【何を誰が決めるのか】
自分のことは自分が決める、他人のことは他人が決める、
複数人のことは個々人が決めたことが同じ権利を持つ。
他人のことも自分で決める、というのはありがちな過ちである。
複数人のことを自分だけで決める、というのもありがちな過ちである。


【夜のイベント】
夜に向かうということが終わりに向かうことであるという連想、
これを打ち破るために夜にイベントを持ってくる。


【新興宗教】
不安のない人間は自分が新興宗教に入らない理由を理解しており、
またしたがってその理由がない人間、すなわち不安な人間が
新興宗教に入り得るのだということも理解している。
したがって新興宗教を否定しない。なぜなら新興宗教とは別種の人間だから。
しかし不安な人間は自分が新興宗教に入らない理由を持っておらず、
したがってまた入る人間がなぜ入るのかということも理解していない。
したがって不安な人間ほど強く新興宗教を嘲笑し否定する。
ひとつには自己正当化のため、ひとつには入る人間が入る理由を理解していないため。


【すべての外】
あるものは、一番下よりさらに下に見えることもあれば、一番上よりさらに上に見えることもある。
そのようなものは、単にその尺度の外であるということだ。


【桜の美しさ】
おそらく桜を美しがる人は、
映画や小説などで一般的に桜がどのように扱われるかという文脈のなかで桜を見ている。
つまり、桜は美しさを喚起するのではなく記憶を喚起しているのであり、
人は桜ではなくその記憶の内容で感動しているのである。


【機会均等】
自分が苦しみに甘んじることを決める権利は自分にある。
しかし、他人が苦しみに甘んじることを決める権利は自分にはない。
だから、たとえば人は誰かにロシアンルーレットを強要する権利はない。
「私は受け入れたのだ。だからあなたも受け入れなさい。」
だが私が決められるのは私が受け入れるかどうかということだけである。


【科学の正しさ】
科学の正しさについて疑念を挿むというのは愚かなことである。
科学は正しさという価値観において究極のものである。科学より正しいものなどない。
ただ我々は正しいからのみ行動するのではないし、
また正しいという価値観にしても科学が唯一の正しさではない、という点から科学が疑われるのである。
科学とは一つの観点であり、他の観点との関係は相対的である。


【芸術作品のよさ】
「この画家は観察力がすぐれている。」では彼はその観察力が評価されたのか?
「この画家は絵がうまい。」では彼はそのうまさが評価されたのか?
どちらも違う。彼はその絵が評価されたのだ。

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