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February 09, 2005

真理について

僕は以前に、真理は合意によって決まると書いた。

「しかしコペルニクスが地動説を唱える前から地球は動いていたが、
その時、あるいはそれ以前にそのような考えに同意していた人は
誰もいなかったではないか?
真理は合意などではなく、実際にどうであるかによって決まるのだ。」

これは一見もっともな指摘に見えるが、僕はこのような考えには賛成しない。
なぜなら、この観点からいえば真理というものは
永遠に判明しないことになってしまうからだ。

このような観点でいえば、
たとえばニュートン力学が信じられていた時代においても量子力学は真理であり、
ニュートン力学は量子力学の近似理論にすぎなかったということになるはずだ。
そして、ニュートン力学を現実に適合する理論として信じていた当時の人々は
ことごとく誤っていたということになる。
しかし、では現在真理として信じられている量子力学はどうなのだろうか?
将来量子力学に代わる理論が登場して現象をより正確に説明し、
量子力学はその近似理論にすぎなかった、
ということが判明することがないことを証明できる人などいないだろう。
この考えでいえば、量子力学が真理であるかどうかは、
未来において量子力学に代わる理論が現れる可能性が残されているかぎり、
宙に浮いたままわからないということになる。
つまりそれは永遠にわからないということだ。

このことは世の中のすべてのことについて言える。
この考えでは、世の中のすべての真理は
それが覆される可能性が残っているかぎり真理かどうかはわからない。
そして覆され得ないことなど存在しないから、
それはすなわち世の中に真理といえるものなどひとつもないということになるだろう。

「そう、厳密な意味で真理であると言えることなど存在しない。」

そうすると世の中で真理や正しいといった言葉を使っている人たちは
ことごとくこれらの言葉を間違って使っているというのか。
誰も正確な意味で真理という言葉を使っていないのに
どうして真理という言葉が機能しているのか。
それは結局、世の中で流通しているような意味での「真理」が
真理という言葉の最終的な意味だからにほかならない。

「ある言説が真理であるとは、それが現実に一致しているということである」
というような意見は、
人々がどのような言説を真理であるとして合意するか、という傾向の問題であって、
真理とはなにかという問題ではないのである。

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アリストテレスの時代にはアリストテレスの時代の真理が、
コペルニクスの時代にはコペルニクスの時代の真理が、
現代には現代の真理があるのであり、
現代の価値観でコペルニクスの時代を測るというのは、
却って現代という時代のみに根ざしたローカルな価値観に縛られていると言える。

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Comments

科学者達は「真理の追究」みたいな表現で、今わかっていることを真理だとは言わなくなってきているんじゃないでしょうか。

でも、いくつかある言葉の定義の元での真理はあるんじゃないかと思うのだけれども。

人が人を殺すことがある。

みたいな文は、「人」「生」「死」「殺す」あたりの自明だと思われる言葉の定義をもってすれば、人間の心理を導いているとはいわないのでしょうか(真理じゃなくて現実とかほかの言葉になるのかな)。

Posted by: なおゆき | February 09, 2005 09:29 AM

もちろんその文は真理なんだけど、
その文が真理なのは現に人が人を殺すからではなくて、
その文が真理であるということにみんなが合意しているからだということ。

現に人が人を殺すことがあるという事実は
「みんながその文に合意する理由」であるにすぎない。

「人が人を殺すことがある」くらい広い合意が得られてる文だと
どっちでも一緒だよって思うかもしれないけど、
たとえばきみがUFOを見たとしてほしい。
このとき「UFOが存在した」っていう文は真理になるだろうか。

ここでもちろん、現にいたんだから真理だ、っていうことにはならない。
たとえどんなにはっきり見たとしても、
そこにUFOが本当にあったのか見間違いだったのかは、きみ一人ではわからない。
疲れてて相当やばい状況だったかもしれないからね。
でもその時他の誰かといて、その人も見たって言ったとしたら
「UFOが存在した」っていう文が現実に一致してる可能性は少し上がる。
その日は日本国民全員がUFOを見たってことになればだいぶ可能性は高くなってくる。
でもどれだけ多くの人が見ても、確実に現実と一致してるって言える状況にはならない。
国民全員が見間違えた可能性を完全に排除することはできないからね。
ただそれぞれの人がUFOを見たことは、
その人たちが「UFOが存在した」っていう文に同意する理由にはなるし、
その結果「UFOが存在した」っていう文が真だと認められるようになったとしたら
それは実際にUFOがいたからではなくて、みんながそれに合意したからでしょう。
本当にいたかどうかはわからないんだから。

Posted by: こいぬま | February 09, 2005 10:42 AM

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